身体に優しい手術・治療に最適な貴金属の応用と価値
いま医療の現場で最も求められているのは、新しい医療デバイスを開発することです。
医療デバイスを開発するための鍵は、「医療分野」と「技術分野」の連携です。
私たちは、新しい医療デバイスの素材として貴金属の特性が活かせると考えています。
最新の医療デバイスに使わる貴金属素材の開発を進めています。
研究者・開発者
長谷部 光泉東海大学医学部医学科 教授
東海大学医学部付属八王寺病院 医長
慶応大学理工学部訪問教授
中西 千博田中貴金属工業
医療器材推進室長
医学の世界では、身体に優しく負担の少ない、傷の小さな(=低侵襲・非侵襲的)手術・治療がトレンドになっている。どうしても必要な場合は、大きな切開をする従来の古典的外科手術が必要になる場合もあるが、このような手術においては高齢者や体力のない人には手術を適用できないこともある。現在の医療においては、身体に優しい腹腔鏡・胸腔鏡手術やカテーテル手術は一般的な手術となりつつある。
カテーテル治療では局所麻酔で皮膚を1mm程度切開するだけで血管内にガイドワイヤーと呼ばれる細い針金を挿入し、これに沿わせて治療器具を患部まで届かせることで、薬を注入したり、治療器具を留置したりすることが可能となる。治療時間は比較的短く、体への負担は少ない。心筋梗塞や下肢閉塞性動脈硬化症と呼ばれる動脈硬化による細くなった血管を広げる治療や、脳血管にできるこぶ(動脈瘤)を詰める治療など、大きくメスをいれることなく手術する技術が進化してきている。このような治療に用いる体内に留置する貴金属はまずは身体にとって過敏な反応がなく、安全で身体になじみやすいことが重要である。また、治療時にはX線透視の画像を見ながら患部まで治療器具を進めるため、放射線透視下で視認性が良いことが重要となる。
このような器材材料そのものやミリ単位で正確な位置を把握するためのマーカーとして、プラチナや金、イリジウムなどの『貴金属』が最適だという。
貴金属が医療の現場で使われる例が増えている。外科手術ではできるだけ人間の体を傷つけない低侵襲あるいは非侵襲の方向へ向かっている。心筋梗塞の治療や心臓手術などは血管内にカテーテルを通し、狭くなった血管に「ステント」と呼ばれる金属の金網状の治療器具を留置する。動脈硬化でこぶの様に膨らんだ動脈瘤内にコイルと呼ばれる金属の詰め物をして動脈瘤破裂を防ぐなど、死亡に直結する危機的な状況を回避するための身体に優しい治療技術が進んでいる。
東海大学医学部医学科 専門診療学系 画像診断学領域の長谷部光泉教授は「そのように長く体内にとどまる医療器材としては、プラチナや金、イリジウムなどの貴金属やその合金が身体と極めてなじみが良いのです」と言う。
貴金属は酸やアルカリなどに侵されにくく、酸化もされにくい。このため、電子部品や半導体の接続部分に使われることが多い。使用済みの電子機器のプリント回路基板は「都市鉱山」と呼ばれるほど特に金の使用量は多い。人工心臓のように人間の体内に金属をとどめなければならない場合には貴金属を使う場合は多い。体内には胃酸のような強い酸をはじめ、食べ物を処理する機能や血管内には酸化剤が多く含まれており、一般的な金属は使えないからだ。
X線動画(透視)を見ながらカテーテル手術
長谷部教授は、X線を利用する画像診断学の専門家であり、カテーテルなどを利用する血管内治療、いわゆるカテーテル治療の専門医(IVR: Interventional Radiology: 画像下治療の専門家)でもある。血管内治療とは、血管内に細い管である直径1mmにも満たないガイドワイヤーと呼ばれる針金を使いそれに沿ってカテーテルと呼ばれるチューブを挿入し、そのカテーテルを通して、治療用のカテーテルや治療器具を導入する治療法である。動脈硬化でコレステロールなどが詰まって狭くなった血管などは、「バルーンカテーテル」と呼ばれる風船つきの治療器具を挿入し、バルーン(風船)を膨らませて血管を拡げる。あるいは金属の金網状の治療器具(=ステント)を広げて留置する。従来は、投薬による治療か、外科手術によって冠動脈をバイパスするのが主流であった。従来の手術だと体を傷つけるため、高齢者や体力のない患者には適用できなかった。そこで、できるだけ身体を傷つけない治療法(低侵襲治療)として、血管内治療が広く普及してきている。
特に最近の外科的手術では、できるだけ体を傷つけない低侵襲治療法がトレンドになっており、患者への負担が軽くなっている。東海大学医学部付属病院,付属八王子病院でも、血管内治療(局部麻酔による手術)などの画像下治療(IVR)によって、手術時間が短縮され負担が軽くなり、退院日数も短くなっている。
血管内治療を行うときは、カテーテルの位置を確認するため、X線透視下でモニター画面を見ながら治療を行う。カテーテルやバルーンの前後には小さな貴金属器材が取り付けられており、X線で人体を透視しても貴金属部分はX線を通さないため、貴金属器材部分がマーカーとなる。数ミリの操作の狂いが致命的な合併症や副作用となることがあり、貴金属のマーカーの役割は非常に大きい。全ての高度な機能をもつカテーテル、治療器具には貴金属マーカーが使用されているのが現状であり、貴金属の果たす役割は絶大である。そのマーカーを見ながら、バルーンの位置を確認したりステントの置く位置をミリ単位で体内において調整したりして、狭くなった血管を拡張させるのである。
医学博士であると同時に工学博士
長谷部教授の強みは、医学博士だけではなく、材料工学でも博士号を持っていること。医師として自分でも手術するからこそ、医師でなければわからない材料上の問題点を把握することができる。母校である慶應義塾大学の医学部でドクター(医学(博士))を取得したのち、慶應理工学部でも学位(工学(博士))をとり、現在は、慶應理工学部の教授(訪問)を兼任している。さらにハーバード大学医学部(Brigham and Women’s Hospital, Harvard Medical School)に留学、MIT(マサチューセッツ工科大学)の工学研究者とも医工連携を行ってきた経験があった。この時に、今後の最新医学は工学(テクノロジー)を活用しなければ、進展できないと感じたという。だからこそ、帰国後は医工連携を求めて奔走した。それ以降、鈴木哲也教授(現・慶應義塾先端科学技術研究センター(KLL)所長)と既に15年以上の医工連携チームを運営し、工学を活用した医工連携の分野で多くの実績を残してきている.この医工連携チームを出身卒業生も、海外研究室や国内の大学、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、JR東海・東日本、その他、一流企業、また最近では、国内発の医療ベンチャーの起業の成功例に関わる社長・研究者など,活躍の場を広げている。
同教授は、材料開発のプロセスにおいては医師・医療現場のニーズを正確に把握しているため、実際に患者に使用できる医療デバイスの開発にまで適切な要求ができる。しかしながら、体内留置型の高度機能を持つ医療デバイスの大半は外国製であり、もし日本人に最適でないとしても仕様の変更はすぐにはできない。臨床のニーズに合致するデバイスを少しでも早く上市するためには、国産技術でのデバイス開発が必要となる。しかも、医療デバイスの輸出入でいえば6000億円の入超になっており、これをバランスするためにも国産技術がベースとなるデバイスを作りたかった。世界的にも医療デバイスは今後後の成長が期待されている市場だという。教授は、国産技術にはこだわっているが、多くの人の命に貢献するためには国内・国外企業にかかわらず広く世界に広げるべきだという考えをもっている。
田中貴金属が素材調達だけではなくデバイスを作るための微細加工技術を保有していることが研究開発の産学連携につながったとしている。
貴金属の粒がマーカーに
教授が担当する血管内治療(IVR: 画像下治療)は、画像を見ながら血管を拡げたり、あるいは逆に塞いだりする。動脈硬化によって心臓の血管が詰まっていると心筋梗塞や狭心症、足の血管が詰まっていると歩けなくなったり、痛みがでたり、足が腐ったりすることを引き起こす。このような場合は、血管を広げるための血管内治療を行う。逆に動脈硬化で血管にこぶ(動脈瘤)ができた場合,破裂すると死に至ることも多いため、破裂しないように動脈瘤や動脈瘤に流れ込む血管に詰め物し塞ぐ治療を行う。血管を防ぐ治療法の応用例では、例えば肝臓がんの治療においてもカテーテル治療が行われている。肝臓がんは、動脈血によって栄養されているため、この栄養血管を詰めてしまい、がんを兵糧攻めにする治療である。血管内からがんの近くにカテーテルを持っていき詰め物をすると共に、抗がん剤を同時に注入する。この治療についても、一般的な治療になってきているという。また、救急医療では交通事故など骨盤骨折による血管損傷や臓器の損傷で血が止まらない時には、血管の中からカテーテルを通し、詰め物により出血を止める。
体内留置デバイスに用いる材料として、金属の他にはポリマー材料が候補としてあげられる。一般的なポリマーは加水分解されるため、体内での長期耐久性には問題が残る。生体内で溶けるポリマーについては、意図的に用いることで医療材料として一般的なものとなってきているが、生体内での長期留置を目指す場合においてはやはり、身体になじみよく、過剰な反応を起こさない(生体適合性が良い)、微細加工が可能である、耐久性にすぐれる、などの理由から金属を用いることがファーストチョイスである。その中でも、プラチナをはじめとした「貴金属」の生体内での安定性、生体適合性、微細化加工性、放射線透視下での視認性について極めて高い性能を有する。
医学と工学の連携を盛んに
今後も、医療のニーズに合った医療機器の開発に「高度なテクノロジー」を利用していく。テクノロジーが改善されれば、さらに優れた製品が生み出され、それを患者様に用いることによって、人間の生活の質(QOL)や寿命は延びていくだろう。医工連携、産官学連携が盛んになってきているが、今後もこの動きは国策として推進されるであろう、加えて、医療ベンチャーがシリコンバレーや欧州などで開発競争を繰り広げている。これまでは大手の医療機器メーカーが開発を主導してきたが、近年では、特定の高度な技術をもった医療ベンチャーが医療現場とタイアップし、開発を加速する動きが活発になってきている。またこの中で成果を上げた医療ベンチャーが大手医療機器メーカーの投資を受ける、あるいは買収されることが多くなってきている。日本でも有望な医療ベンチャーが現れてきている。エンジニアと医療のニーズとがタイアップする方向は今後さらに盛んになっていくだろう。
後発でも品質で勝負できる
田中貴金属工業は、医療用体内留置デバイスとしてのプラチナ材料を手掛けるのはむしろ後発だ。それでも自信をもって医療分野に食い込もうとしている。同社新事業カンパニー技術開発統括部の中西千博氏は、「基本素材の品質と基本的な高度な微細加工技術を持っているからこそ,後発でもこの市場に食い込める」と自信を持つ。
そもそも、田中貴金属の技術の特長は、4ナインと呼ばれる99.99%の純度を持つプラチナを生産する能力があることだ。プラチナの原材料を入手した後、自社の工場でさらに精錬しインゴットを生産、純度を確認する。さらに、この純度の高いインゴットから同社の商品に加工するため、インゴットを圧延処理して細線を作っていく。最終的には直径30µmあるいは20µmの細線を巻き付けた形の製品に仕上げる。ここで、もし不純物の塊があれば、細線が途中で切れてしまう。細線に加工できるということは、高純度の裏返しでもある。
製品を納入した医療機器メーカーでは、直径が1mmにも満たない小さなコイルの形に加工して医師が使いやすい形状と性能を発揮する。医療機器メーカーはこのコイルを使用したデバイスの最終形を作製し、医療現場に届けている。
プラチナ合金は、X線を使ってカテーテル治療を行う医師にとって、必須の材料である。プラチナをカテーテル内にいくつか配置しておけばX線を通しにくいプラチナは、放射線透視下では視認性が高く、カテーテルの位置をミリ単位で明確に知ることできる。これが医師にとって、高度な治療を安全・安心行うための唯一の手段ともいえる。カテーテルの先端や治療器具を間違いなく患部に届けることができるからだ。また、体内に長期留置しても安定的であり、毒性も少なく身体へのなじみが非常にいいのも特徴である。
ただ、純粋な材料である細線が機械的な特性を満たすからと言って、医療デバイスとしての特性も満たしている訳ではない。このため、医療デバイスとして医師が満足できるレベルとは、使う医師の手の感覚で作業できるものでなければならないという。田中貴金属は、細線の表面が鏡面のきれいな状態の製品に自信を持つ。インゴット表面にスジが入っていると細線化するときにそのままスジが細線表面にも現れてしまうという。自社製品ではスジは見られないとする。
東海大学の長谷部光泉教授がこれまでの医療用デバイスではなく、もっと使いやすいものにしたいとの思いが湧いていた時、田中貴金属は偶然にも貴金属の微細加工技術を医療分野で活かすことができないかと考えていた。そのような時、教授と田中貴金属の役員が高校・大学の同級生という縁もあり、一緒に何かできるのではという思いが重なり始めた。加えて、大手医療機器メーカーに在籍経験のあり,デバイスの許認可申請・薬事に精通した平松義規氏(ドリームメディカルパートナーズ社代表・東海大学医学部客員講師)も加わり、材料メーカーと臨床の現場をもつ大学医学部という産学連携がうまれたのだ。
カテーテル治療デバイスの開発は米国や欧州がリードしている。カテーテルを使う低侵襲治療は今や最先端治療の一つだ。「貴金属を通して社会に貢献する」(中西氏)田中貴金属にとって、医療分野への進出は時代に合ったビジネスともいえそうだ。
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