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About Elements
私たち田中貴金属は、貴金属のリーディングカンパニー。
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世界初・貴金属のみの「ハイエントロピー合金粉末」が、材料分野の地平を切り開く
「ハイエントロピー合金」という名称は、もう耳にされているだろうか。田中貴金属グループの製造事業を担当する田中貴金属工業(株)では、この新しいカテゴリーに果敢に挑戦。貴金属だけを用いた「ハイエントロピー合金粉末」の開発に初めて成功し、本製品でも用いられている、5種類以上の貴金属合金粉末自体とその製造方法について、特許権を取得した(特許第7300565号)。他に類を見ない、新しい合金材料の開発を担った化学回収カンパニーの細井拓也と近藤寿恵に話を聞いた。
今、注目を集める「ハイエントロピー合金」とは?
─今回、貴金属のみで構成されたハイエントロピー合金粉末の開発という世界でも類を見ない快挙を成し遂げられました。まずは、「ハイエントロピー合金」について、詳しく教えてください。
▲ [左から]田中貴金属工業 株式会社 化学回収カンパニー 湘南工場 機能膜開発セクション 近藤寿恵、車載センサ材料 責任者 細井拓也
細井:まだ定義が明確ではないところもありますが、5種類以上の元素が同程度の原子数の割合で含まれ、単体の元素が半分以上を占めない合金のことを「ハイエントロピー合金」と呼んでいます。
近藤:その概念が発表されたのが約20年前ですので、金属の長い歴史から考えればかなり最近になって登場したもので、国内外で大学や企業などが盛んに研究を始めており、トレンドになりつつあります。
細井:そもそも合金とは、複数の金属や非金属が混ざり合った金属のこと。合金の中でもさらに分類があり、原子レベルで溶け合っている固溶体や、金属同士で化合物(金属間化合物)を作るものなどがあります。固溶体を例に挙げると、一般的には原子サイズは元素ごとに違うケースがほとんどなので、異なる元素が原子レベルで混ざると、原子配列に歪みが生じます。その結果、原子の移動自体が難しくなり、強度や耐熱性などが向上する現象が現れるわけです。
近藤:例えば、身近な合金にステンレスがあります。ステンレスの主成分である鉄は錆びやすい金属ですが、クロムを加えて合金化することで錆びにくくしているのです。また、配合比率を変えたり、ニッケルなどの元素を加えたりするとさまざまな異なる特性を示します。単なる混合物としてではなく、熱をかけるなどして合金にすることで、強度、耐熱性、耐薬品性、導電性などの向上を図ることができるので、用途に合わせてさまざまな合金が開発され世の中に普及しています。
細井:新たに登場したハイエントロピー合金は、5つ以上の異なる原子が入り混じっていて、分かりやすく言うと超満員の電車並みに原子同士が窮屈な状態になっています。そうなると、従来知られていた特性以上のパフォーマンスを示すかもしれないですし、「カクテル効果」と呼ばれる、それぞれの元素が有していない新しい効果が生まれる可能性も秘めているとも言われています。
貴金属のスペシャリストが挑む、まったく新しいハイエントロピー合金の開発
─開発に取り組んだきっかけは何だったのでしょうか?
細井:世の中は目まぐるしいスピードで変化しています。その中でいち早く正確な情報を入手し、ニーズを理解してお客様に喜んでいただける材料や製品を開発してきました。ただ、これだけ大きく変化し続けている今、従来通りのニーズありきのスタンスでは、この先に求められるであろうものを生み出していくのは難しいのではないか、と。
そこで一度原点に立ち返り、良い製品とは何か、私たちができることは何かを考えてみました。その結果、良い製品とは「お客様に喜んでいただける製品を通じて、社会に貢献するもの」であろうという結論に至ったのです。貴金属メーカーとして、やはり貴金属分野で社会貢献したいと改めて思ったんですね。
当社には、「貴金属を究める」という上位概念があります。それならば、今まで誰も達成できていない新しいものを生み出してみよう。それも私たちの部署が長年なりわいとしてきた貴金属粉末分野で、「貴金属を究める」ことを目指してみようとしたのです。私たちが今まで蓄積したシーズ──開発の基礎みたいなものをうまく応用しながら、当社が培ってきた技術を活かせば、新しいものができることを証明したかった。それが今回の開発のモチベーションを高めることにつながったかもしれません。
─そこで着目したのが、ハイエントロピー合金だったと。
細井:はい。ハイエントロピー合金は近年かなり注目が高まっていて、従来にない特性を出現する可能性があるほか、貴金属分野でも研究が進んでいて興味深い特性が確認されていました。しかし、まだ研究用途が多く、粉末分野において量産性を確立した事例が見当たらなかったのです。私たちの部署は、お客様のニーズに合わせた製品開発・量産化技術を得意としています。この領域で私たちが貢献できるとしたら──十分な生産性・品質を確保したハイエントロピー合金粉末を製品化して、あらゆるお客様に気兼ねなく評価していただける材料を提供することだと考えました。もちろん、田中貴金属なら「貴金属オンリー」のハイエントロピー合金だろう、と。
近藤:貴金属は、それぞれ単体でもさまざまな特性に優れています。それがハイエントロピー合金になることで、さらに優れた特性が出るのではという期待もありました。
細井:さらに、複数の金属合金粉末を作ることができる技術を確立すれば、それ以下の組成数の対応は比較的容易になります。ニーズが出たところで、各種組成に対するスピーディーな対応ができるはずです。それに、微細で均一な粉末を作ること自体難しいのに、5元以上の均一なハイエントロピー合金粉末ができたらすごいことなのではと、好奇心にも突き動かされました。
培ってきたノウハウや技術力が、スピード感のある作製を可能に
─試作開始から約1カ月という短期間で作製に成功されたそうですが、その理由は何だったと考えますか?
細井:単元もしくは2種類の合金粉末は、当社ですでに長年にわたって開発・生産しており、自動車用の排ガスセンサーや抵抗体、水電解触媒などの原料として使われています。また、貴金属は量産品として扱っており、ハイエントロピー合金粉末の原料の入手は比較的容易でした。さらに、単元ではあるものの、それぞれの金属粉末を製造するためのノウハウも蓄積されていて、それらを参考にしながら開発を進めていくことができました。
▲ 試作や作製は、同社湘南工場内の実験室で行われる
近藤:実は試作開始後、約1カ月で「たまたまできてしまった」と言ったほうがよいかもしれません。もしその時にできていなかったら“やっぱり簡単にはできなかった”となって、ここまではやらなかったかもしれないです。それも含めて、短い期間で初めての作製に成功できたのは、社内のたくさんの方々が過去から積み上げてきたものがあったからこそだと感じています。
その後に試作条件を変えて、例えば処理量を増やしたり、処理する形態を変えたりすると、均一な合金ができなくなる時期もありました。また、今回使用したのがPt(白金)、Pd(パラジウム)、Ru(ルテニウム)、Ir(イリジウム)、Rh(ロジウム)の貴金属5元素で、そのうちRuだけ結晶構造が異なる点には苦労しました。同じ結晶構造を持つ元素同士が合金になりやすいので、試行錯誤を重ねながら原料のサイズや前処理条件を変え、なんとか安定的に作製できるようになりました。今回の開発にあたって、失敗も含めた多くのデータを蓄積できたので、今後、有効に活用していきたいと思います。
─特許として登録を受けるまでのスピードも早かったとか。
近藤:はい。私にとっては初めての特許申請だったのですが、2023年2月に出願して6月には登録されました。承認されるのが予想以上に早かったので、驚きました。
細井:特許は、先行技術がある場合にそれとの違いを述べる必要があるため、特許査定を得るには特許庁と複数回の応答を行うことが一般的です。しかし、今回の合金粉末は審査官から一度も指摘を受けることなく登録査定をいただきました。私も過去の特許申請にはとても苦労していたので嬉しかったですね。
▲ 初めて作製に成功した貴金属オンリーのハイエントロピー合金粉末。Pt(白金)、Pd(パラジウム)、Ru(ルテニウム)、Ir(イリジウム)、Rh(ロジウム)の5元素からなる
ますます広がる「唯一無二の合金」への期待
─今後の展開についてはいかがでしょうか?
細井:これまでさまざまな種類の貴金属種や粉末サイズの合金粉末を試作してきましたが、まずは約1μm粒径サイズを有したPt、Pd、Ru、Ir、Rhの5元系ハイエントロピー合金粉末の量産性を確立したので、サンプル提供に踏み切りました。
近藤:現在は、どういう用途で、どんな分野で使っていけるかをある程度想定しつつ、その時にどういう特性があるか、どんな特性が必要とされるかを考えながら調査を行っています。
細井:ハイエントロピー合金粉末は、さまざまな用途に用いることができると考えています。例えば、有機物と混ぜペースト化して導電膜に。また、粉末冶金による構造体などへの活用が考えられます。これからも優れた特性を探しながら具体的な用途を探っていきますが、均一な組成分布が求められる構造体の原料として利用できる材料だと思います。
─前例のない合金ということで、期待は高まる一方ですね。
近藤:工場内で月に1回、開発の進捗報告を行っているのですが、他部署の技術者も「続報はまだ?」と声をかけてくれます。興味を持ってくださる人たちがたくさんいてとてもありがたいですね。新しいことがわかったらどんどん共有して、少しずつでも前に進めていけたらと思っています。特許も取得できたので、お客様にもこの合金を知っていただく機会が増えることを期待したいです。
細井:工程を確立することで、この合金を「評価したい」「トライしてみたい」と考えるお客様に対して、比較的スムーズにご提供できる段階まできました。私たち材料メーカーが、製品の最後の最後まで評価することはできません。ただ、今まで「やりたいのだけど原料がない」とお困りだったお客様にこのまったく新しい原料をご提供することで、新しい価値が生まれ、ひいては私たちの思い描く「貴金属を通じた社会貢献」につながるのではないかと考えています。
まだまだ探究しなければいけないことがたくさんあります。例えば、少し組成をずらしたいという細かなリクエストにも対応できれば、さらに幅広いニーズに応えやすいのではないかといったことです。引き続き、あきらめることなく挑戦を続けていきたいと思います。
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誕生したばかりの貴金属オンリーの「ハイエントロピー合金粉末」。たくさんの可能性を秘め、幅広い用途での活用が期待されている。現状の課題解決の糸口になる可能性が高いことに加え、既存の合金にはなかった優れた特性が引き出され、各産業の常識を変えるほどの価値を生むかもしれない。
■関連情報
https://tanaka-preciousmetals.com/jp/products/detail/high-entropy-alloy-powder/