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アメリカ最高の演算能力をもつ量子コンピューターを開発するスタートアップ企業

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アメリカ最高の演算能力をもつ量子コンピューターを開発するスタートアップ企業

米国人数学者でベル研究所(Bell Laboratories)に所属していたピーター・ショア(Peter Shor)は1990年代に、わかりいくいタイトルと、世界を震撼させる示唆を秘めた論文を発表した。「Polynomial-Time Algorithms for Prime Factorization and Discrete Logarithms on a Quantum Computer(量子コンピューターにおける素因数分解と離散対数のための多項式時間アルゴリズム)」という1997年の論文のなかでショアは、理論上、量子コンピューターを使えば、従来のコンピューターではどれだけ演算能力が高くても太刀打ちできなかったある種の数学的問題を効率よく解くことができると示した。多数の計算ステップを消し去り、かかる時間を飛躍的に短縮できるというのだ。

ショアの理論は衝撃的なものだったが、当時は、物理学者や数学者、一部のコンピューターサイエンティストにしか知られていなかった。最も広く使われているデジタル暗号化プロトコルのひとつであるRSA暗号は、非常に桁数が大きい数の素因数分解は、従来のコンピューターにとっては極めて難しく、暗号解読に数年の時間を要するということに基礎を置いている。素因数分解する数が大きくなればなるほど、必要な演算能力が桁違いに増加するためだ。だがショアは、量子の奇妙な性質を利用することで、数分間、あるいは数秒間で答えにたどり着けると示した。これが実現すれば、既存の暗号化技術は時代遅れの代物となる。

ショアが提唱した量子コンピューターは、当時まだ存在しなかった。しかし彼の論文は、量子コンピューター構築に向けた遠大な取り組みの開始を促した。こうしたコンピューターの開発を目指すのは、デジタル暗号化技術の刷新のためだけではない。物理学、化学、素材科学、製薬などの分野、すなわち、膨大な数の変数が関与する複雑な問題を扱うため、従来のコンピューターでは壁にぶつかっていた分野に、本質的な変化をもたらすはずだからだ。

7年後、IBMの研究チームが、量子コンピューターの初期バージョンを利用して、ショアのアルゴリズムが機能することを実証した。といっても、解いた問題も初期バージョンで、15を素因数分解したにすぎなかった。その後、いくつものチームが、ショアのアルゴリズムの検証や、別の種類の量子コンピューターを開発し……最大で21の素因数分解に成功した。現実に意味のある数字の素因数分解──そして、量子コンピューターの熱狂的信者たちがうたうような数々の奇跡──を実行するには、いま存在するものよりもはるかに大型で高性能な量子コンピューターが必要だ。だが、何十年も未来のテクノロジーの域にとどまっていた量子コンピューターは、ついに変曲点に達した。

ピッチブック(PitchBook)のデータによれば、量子コンピューターに関するビジネス契約は、2015年から2023年までのあいだに700%以上も増加し、総取引額は10倍の10億ドル(約1431億円)に達した。各国政府は量子コンピューターを、国家安全保障戦略上の優先事項とみなしている。2024年2月の時点で、米国政府は量子コンピュータープロジェクトに30億ドル(約4294億円)を出資し、さらに「米国国家量子コンピューティング・イニシアチブ」に12億ドル(約1718億円)をつぎ込んでいる。一方、中国は量子コンピューター開発に150億ドル(約2兆1470億円)を出資したとされる。IBM、インテル(Intel)、グーグル(Google)、マイクロソフト(Microsoft)、AWS、百度(Baidu)などの巨大テック企業はいずれも量子コンピュータープログラムを進めており、基礎物理学、化学、素材科学、製薬、金融、気候モデル、AIモデルの訓練と最適化などへの応用を見込んでいる。

しかし、2024年春頃から、こうしたビッグネームを抜き去り、予想外のトップランナーに躍り出たスタートアップ企業がある。カリフォルニア州パロアルトに拠点を置く、知る人ぞ知る、サイ・クオンタム(PsiQuantum)だ。ブラックロック(BlackRock)、ファウンダーズファンド(Founders Fund)、プレイグラウンド・グローバル(Playground Global)、マイクロソフトのベンチャーキャピタル部門などから計7億ドル(約1002億円)を調達した、創業8年のこのスタートアップは、2024年4月、オーストラリアのブリスベンに実用規模の量子コンピューターを構築する計画を受注した。さらに同社は現在、イリノイ州シカゴのサウスサイドに新設される巨大な量子研究キャンパスの主要民間テナントとして指名されている。イリノイ州とシカゴ市、そして米国防高等研究計画局(DARPA)から5億ドル(約716億円)以上の資金を得たサイ・クオンタムは、米国を量子技術のリーダーに押し上げ、中国という不穏なライバルに打ち勝つという壮大なプロジェクトの担い手なのだ。

サイ・クオンタムのアプローチは、競合他社とは本質的に異なる。同社は、最先端の「シリコン・フォトニクス」を応用し、単一の光の粒子を操作して計算に使用している。さらに同社は、スーパーコンピューターの構築にあたって、漸進的アプローチをとるのではなく、最初から高い演算能力と「フォールト・トレラント(障害許容設計)」なシステムをもつ、これまでに構築されたどの量子コンピューターよりもはるかに大規模なマシンを完成させることに特化して開発にあたっている。同社によれば、最初のシステムの操業開始は2027年後半になる予定だ。これは、他社が掲げる目標よりも何年も早い。ただし、ひとつ大きな疑問が浮かぶ。それだけ早く、できるのだろうか?

量子ビットからコンピューターへ

量子コンピューターをつくるよりも難しいことがあるとしたら、それは、量子コンピューターの仕組みを説明することだけだろう。量子電磁力学の基礎を築いた功績を認められ、1965年にノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマン(Richard Feynman)の有名な言葉のとおり、「量子力学を理解したと思っているなら、それは量子力学を理解していない証拠だ」

理解しづらいのは「量子物理学の本質的な特性」だと語るのは、サイ・クオンタムの共同創業者で最高科学責任者を務めるピーター・シャドボルト(Peter Shadboldt)だ。「量子物理学で使われる数式は、ポストカード1枚に収まります。けれども、その数式を納得できるような比喩に書き換えようとして、合わせて何千ページもの一般科学書が書かれてきました。比喩を拒むような量子力学の特性は、量子コンピューターにも引き継がれています」

それでも、とにかくコイントスを想像してみてほしい。従来の演算では、情報は2進法、つまり1か0のいずれかという形で、磁気ビットにコードされる。コイントスの比喩で言うと、コインが床に落ち、裏か表のどちらかになった状態だ。一方、量子コンピューターの場合、情報は量子ビットに保存され、1と0の状態を同時にとり得る。「重ね合わせ」と呼ばれるこの状態は、コインが空中にあり、まだ着地していないようなもので、着地するまでに「表」と「裏」の度合いがそれぞれ刻一刻と変化する。

量子ビットの「同時に複数の状態をとり得る特性」、また、量子もつれを通じて互いに結びつく特性のおかげで、十分に高度化した量子コンピューターは、多次元アルゴリズムを、想像を絶するスピードで走らせることができる。要するに、あらゆる変数とその組み合わせを、順番にひとつずつではなく、すべて同時に処理できるのだ。「ごく単純にいえば、量子物理学は、情報の扱い方に新しいルールを導入するので、新しい戦略を用いることが可能になるのです」と、シャドボルトは述べる。

量子ビットをつくる方法はたくさんある。IBMやグーグルなどは、伝導性の高い金属を使用して、「超伝導回路」と呼ばれる、人工原子として機能する部品をつくる方法をとっている。ハネウェル(Honeywell)やイオンQ(IonQ)といった企業は、天然原子で「捕捉された」イオンを、量子ビットとして利用する。カリフォルニア州バークレーに拠点を置くアトム・コンピューティング(Atom Commputing)は中性原子(neutral atom:陽子と同数の電子が結合している原子)を利用する。サイ・クオンタムと、カナダのトロントに拠点を置くザナドゥ(Xanadu)は、いずれも光を基礎とするが、前者は単一光子を、後者は「圧縮光」光子を利用している。

量子ビットをつくるのは始まりにすぎない。演算能力を持つ量子コンピューターの構築には、はるかに数多くのプロセスがある。第一に、量子ビットは安定した「コヒーレント状態」でなくてはならない。つまり、演算に十分な長さの時間にわたって、重ね合わせが維持される必要があるのだ。加えて、量子ビット同士を相互作用させる方法や、こうした相互作用を制御し計測する方法も確立しなければならない。さらに、量子システムに内在する「ノイズ」の抑制や補正も必要だ。「一般的なノートパソコンにおけるトランジスタの誤作動は、1兆回に1度よりもはるかに少ない頻度でしか起こりません」と、シャドボルトは説明する。「現時点での量子ビットは、どの会社のものであっても、1000回に1回は不具合を起こします。ものすごく運がよければ、1万回に1回で済むかもしれませんが」

素粒子のカオスに抗って、意味のある結果を生み出せる「フォールト・トレラント」な量子コンピューターを構築するために、ほとんどの企業は、何千、何万という大量の量子ビットを、エラーの修正に特化させる方針をとっている。「私たちの推測では、実用化レベルでは、数百万というオーダーの量子ビットが必要になるでしょう」と、サイ・クオンタムの共同創業者でもあるジェレミー・オブライエン(Jeremy O’Brien)CEOは言う。すなわち、大量生産による大規模化が可能でなくてはならないのだ。

光を見いだす

オブライエンCEOは、1990年代半ばに、オーストラリアのパースで学部生として量子力学を学んでいたとき、量子コンピューティングと「ショアのアルゴリズム」に関する記事を読み、人生が一変したと語る。「私がそれまで出会ったなかで、圧倒的に思いもかけない内容でした」と、オブライエンCEOは述べる。「私たちが学んでいた、これらの奇妙でいかれた物事を制御して量子コンピューターを構築できれば、火や、農業や、蒸気機関の発明に匹敵する革命を起こせる可能性があるのです」。だが、量子コンピューターの構築のために超伝導体やその他の方法を検討したあと、「私は最大の危機に直面しました」とオブライエンCEOは述べる。「どのアプローチをとったとしても、100万個の量子ビットを用意することは不可能だと悟ったのです」

シドニーにあるニューサウスウェールズ大学の博士課程に進学したオブライエンCEOは、フォトニクスに魅了された。通信業界で光ファイバーネットワークシステムに広く利用されている、高度に発達したテクノロジーだ。その後、ブリスベンにあるクイーンズランド大学のポスドクになった彼は、フォトニクスの手法の考案者の一人の下で研究を続けた。そして2009年、光子に情報をコードして量子演算を実行する方法を説明する学術論文を発表した。オブライエンCEOは2015年、英ブリストル大学で、志を同じくする仲間たち(前半で紹介したピート・シャドボルトのほか、テリー・ルドルフ[Terry Rudolph]、マーク・トンプソン[Mark Thompson])とともにサイ・クオンタムを創業した。実用規模のフォールト・トレラントな光子ベース量子コンピューターを開発する、オール・オア・ナッシングな探究を開始したのだ。

長年にわたり、量子コンピューター業界を牽引してきたのは、NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum Computer:ノイズがあり、数年から数十年以内に開発される中規模の量子コンピューター)と呼ばれるアプローチだったと、オブライエンCEOは説明する。「つまり、漸進的にシステムの規模を大きくしていき、それに見合った実用的な用途を探す、というものです」。グーグルは2009年、53量子ビットのコンピューターによって「量子超越性(quantum supremacy)」、すなわち特定の数学問題において、従来のスーパーコンピューターをはるかに上回る計算速度を実現したと発表した。「これは非常に重要な科学的成果です」と、オブライエンCEOは語る。「しかし率直に言って、従来のシステムでは絶対にありえない水準のノイズを生み出してもいるのです」。意味のある問題解決が可能な規模の量子コンピューターにおいては、とてつもないノイズが生じるのだ。

オブライエンCEOと共同創業者たちは、古いやり方を捨てるしかなかった。「目指すゴールがエンパイアステートビルの頂上で、手元に10mの梯子があるなら、100mの梯子をつくれば頂上に近づけます」と、オブライエンCEOは語る。「でも、本当のゴールは月だとしたら、梯子が10mであろうが100mであろうが、違いはありません。必要なのはロケットです。考えるべきは、ロケットを飛ばすにはどんな燃料が必要か、エンジンのプロトタイプをつくって燃焼試験をするにはどうすればいいか、機体はどうするか、といったことです。私たちは研究センターを設立し、すべての課題をまとめて解決することに力を注ぎました」。20年近くが経ったいま、そのロケットが形になりつつある。

2024年1月、サイ・クオンタムの研究開発エンジニアリング・マネージャーであるマシュー・ハウス(Matthew House)が、同社の本部と研究所を案内してくれた。何の変哲もないパロアルトの低層ビルで、道路をはさんだ向かいには、EVメーカーのリヴィアン(Rivian)の本社がある。サイ・クオンタムの研究者たちは、アクリル板の仕切りで区切られた、たくさんの散らかったワークベンチのあいだで、あるいは、クリーンルームを仕切るカーテンのなかで、さまざまなシステム構成部品の品質検査をしていた。まわりには、コンピューターモニターや、雑多な検査機器、電子部品を冷却するための黒い小型の低温維持装置などが置かれていた。

超伝導回路やイオンからつくられる量子ビットは繊細で、宇宙に遍在する微小なエネルギー波による干渉を受けやすい。「熱ノイズ」による干渉を最小限に抑えるため、ミリ・ケルビン単位まで、つまり、絶対零度すれすれの水準まで冷却しなければならない。一方、光子からつくられる量子ビットは、常温で機能する。「光子にはユニークな特性があり、他の信号から一切の干渉を受けないのです」と、ハウスは説明する。サイ・クオンタムのシステムの構成要素のうち冷却が必要なのは、光子を検出する部分だけで、それさえも温度は比較的高い。絶対零度の数度上で機能するため、必要とするエネルギーは格段に小さいのだ。これもまた、規模を拡大するための大きな利点となる。「例えば、IBMのマシンを大規模化するのに不可欠な冷却能力を実現するには、いまの世界には存在しないような装置が必要です」と、ハウスは説明する。

数多くのライバルに対する、サイ・クオンタムのもうひとつの強みは、半導体業界のツールとプロセスを転用できることだ。「私たちは、可能なかぎり新しいプロセスを導入しないよう心がけています」と、オブライエンCEOは語る。同氏は、初期の頃から、光量子ビットを標準的な300ミリシリコンウェハーの上に構成することに「取り憑かれて」いた。導波管、位相調整器、偏光板といった標準的な光学部品を使い、電子ではなく単一光子をつくりだして方向づける集積回路を生産することを目指したのだ。サイ・クオンタムは2017年以来、トップクラスの半導体メーカーであるグローバルファウンドリーズ(GF)との提携の下、革新的な「シリコンフォトニック」チップを開発し、ニューヨーク州マルタにあるGFの工場で生産してきた。また、特許を所有する電子制御チップについても、ドイツのドレスデンにあるGFの工場で生産している。

「誰もが、自分のところの量子ビットは他よりも優れていると主張したがります」と、オブライエンCEOは言う。「けれども、本当に重要なのは、100量子ビットや100万量子ビットという規模まで製造できるかです。100万から10億の構成部品を生産して、すべての品質検査を実施できるかという、生産能力の問題なのです。私たちは、時間と資金とエネルギーのほぼすべてを、スケーリング問題の解決に費やしてきました」

サイ・クオンタムは、数万のチップを検査にかけ、光学的損失、つまり「光子の無断欠勤」とでもいえる問題を抑える努力をしてきた。これは、チップ構造の改良だけでなく、生産プロセスの改良も意味する。「導波管のエッチングをもっと完璧に仕上げるには、素材をどう改良すればいいでしょうか?」と、ハウスは述べる。「導波管の最適な形状は? チップ上の導波管の壁面のテクスチャーの粗さは重要です。私たちは、ナノメートルレベルで細部にこだわり、半導体工場を通じてプロセスを精緻化し、光学的損失を極限まで減らしました」

サイ・クオンタムは、ただチップの開発をしているだけではない。これらのチップは、大きなシステムに組み込まれて初めて役に立つ。「システムにおいては、一般的な部品を含めて、すべてが機能していなくてはなりません」と、オブライエンCEOは言う。大きな課題のひとつは「パッケージング」で、これは、必要なワイヤーやファイバーをデバイスにどう接続し、システムの各構成要素をどう結びつけるかという問題だ。量子コンピューターには、量子ビットと相互作用する多数の制御電子部品が必要だが、それぞれの動作環境に互換性があるとは限らない。加えて、サイ・クオンタムやIBMなどの企業は、まだ存在しない量子ネットワークを通じて量子プロセッサを並列接続することで、さらなるスケールアップを目指している。

サイ・クオンタムのアプローチにはさまざまな優位性があるものの、特有の課題もある。「どのモダリティ(様相性)にも長所と短所があります」と語るのは、ヘルシンキのディープテックベンチャー企業、ヴィオマ・ベンチャーズ(Vioma Ventures)のパートナー、ユッシ・サイニエミ(Jussi Sainiemi)だ。「フォトニクスをベースにした量子ビットは、おそらく、よりスケール化しやすい反面、現時点では、量子ビットの制御と“もつれ”という技術的課題を抱えています」。要するに、光は正確に制御するのが極めて難しいのだ。IBMクオンタムのバイス・プレジデントであるジェイ・ガンベッタ(Jay Gambetta)も、同様の懸念を口にする。「超伝導体回路では強いカップリングを設計できますが、光子は概して相互作用に不向きです」

サイ・クオンタムは、こうした課題を克服するための技術開発を行ってきたが、究極的には、すべてのピースをひとつに組み上げられるかが試金石となる。IBMは2023年12月、1121量子ビットの量子プロセッサ「Condor」を発表したが、サイ・クオンタムは、完全なシステムを組み立てる段階にはまだ至っていない。それでも、報じられる進展と数十の特許のおかげで、投資家だけでなく、いまや政府までもがサイ・クオンタムを信頼し、潤沢な資金と、開発に必要な土地を提供している。

可能性は「単一の現実」に収束するか

ムーンショット(月への飛行計画のような、大胆で挑戦的な研究開発)は一般に、政府の支援が頼りだ。量子コンピューターも例外ではない。米国政府は2023年、量子技術研究開発への出費を強化し、9億3200万ドル(約1334億円)の予算を配分した。この金額は、2019年の4億4900万ドル(約643億円)と比べて2倍以上だ。現在委員会で審議中の2024年度国防量子加速法(Defense Quantum Acceleration Act of 2024)では、「量子情報科学術の導入と実用化を加速させる」ため、さらに8億ドル(約1145億円)の国防総省予算が計上されている。

こうした出資の背景には、中国などの敵対国が、量子演算技術の進歩を戦略的・商業的優位性の確立に利用することで、容易には埋まらない差をつけられるのではないかという懸念がある。中国はこれまで、量子コンピューティングに150億ドル(約2兆1470億円)以上の国費を投入したとされる。中国の研究チームは2023年、光量子コンピューター「九章3号(JiuZhang3)」を使用して、複雑なガウシアン・ボソン・サンプリング(GBS)問題を数ミリ秒で解き、演算速度の最高記録を樹立したと発表した。現在最も演算能力の高いスーパーコンピューターでも、この問題を解くのには推定200億年が必要とされる。幸い、この演算は暗号解読とは無関係だが、中国の開発能力の高さを裏づけるものだ。

DARPAは2024年1月、量子演算の実用スケールでの運用を、従来の予測よりも大幅に前倒しできるアプローチを模索するプロジェクトの第2フェーズに、サイ・クオンタムを選んだ。他に指名された企業はマイクロソフトだけだった。オーストラリア政府は2024年4月、100万量子ビット規模のフルサイズ量子コンピューターをブリスベンで構築する計画にサイ・クオンタムを指名し、約6億2000万ドル(約887億円)の契約を結んだ。同社の予測では、小規模データセンターほどのサイズと、特許技術でつくられた冷却キャビネットを備えたこの装置は、2027年末までに操業を開始する予定だ(参考までに、IBMの量子技術ロードマップでは、フォールト・トレラントなコンピューターの操業開始目標を2029年としている)。オーストラリア、英国、米国は、AIと量子演算を含む非核戦略技術の共同開発に、AUKUSと呼ばれる3カ国による安全保障の枠組みを通じて取り組んでいる。

そして、サイ・クオンタムは7月25日、これまでで最も強力な支援を勝ち取った。イリノイ州のJB・プリツカー知事が、野心的な量子研究キャンパス「イリノイ・クオンタム・アンド・マイクロエレクトロニクス・パーク」の主要テナントにサイ・クオンタムを指名すると発表したのだ。建設予定地は、シカゴのサウスサイドにある、長らく放置されていたUSスチール(U.S. Steel)の製鉄所跡地だ。ここで同社は、約2.8ヘクタールの敷地を得て、世界とは言わずとも、米国で最大規模かつ最高の演算能力をもつ量子コンピューターを建設する。このキャンパスは、イリノイ州と連邦政府のパートナーシップによる量子性能試験場プログラムの物理的中心であり、DARPAはこれに1億4000万ドル(約200億円)の出資を予定している。イリノイ州は、極低温冷却施設の建設と土地開発のために3億ドル(約429億円)を拠出し、補助的にマッチングファンドを設立する見込みだ。さらにシカゴ市、郡政府、州政府は今後、同社に5億ドル(約716億円)の税制優遇措置を提供することになっている。

シカゴのブランドン・ジョンソン市長は、サイ・クオンタムは「市当局にとって、すべての段階における卓越したパートナーを務めてくれています」と絶賛し、「ジェレミー・オブライエンCEOと私は、1990年代の(バスケットチーム「シカゴ・ブルズ」の)マイケル(・ジョーダン)とスコッティ(・ピッペン)のようなコンビです」と述べた。この官民パートナーシップにより、シカゴ市はテックハブとして位置付けられ、ジョンソン市長いわく「ビジネスに開かれた」街としてのアピールを強めるだろう。加えて、「製鉄所が閉鎖して以来、取り残されてきたコミュニティを再活性化し、家族や労働者の暮らしを支える」ことにもつながる。

新設される量子研究キャンパスは、数千の雇用を創出し、経済効果は600億ドル(約8兆5882億円)に上るとされている。「鉄鋼業界の隆盛と、同業界のグローバルな成長経済への貢献を思い出しましょう。それは、ここシカゴで起こりました」と、ジョンソン市長は語る。「量子コンピューターは、鉄鋼業界が達成したのと同様な成長の原動力を持っています。私は、それ以上の転換をもたらすと確信しています」

量子力学において、重ね合わせは、観察されることで崩壊し、単一の「古典的な」現実に収束する。数多くのあり得る現実のなかから、1つだけが「本物」になるのだ。サイ・クオンタムこそが量子演算の実用化の未来だと断言するのはまだ早い。しかし業界全体が、同社の「次の一手」に注目しているのは間違いない。「私たちには優れたアイデアがあり、この8年あまりのあいだ、青写真を具現化し改良することに専念してきました」と、オブライエンCEOは語る。「脱出速度に達する瞬間が視野に入ったと、私は思います。そこを超えれば、私たちは、月やその先へと到達できるのです」

この記事は、Fast CompanyのAdam Bluesteinが執筆し、Industry DiveのDiveMarketplaceを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@industrydive.comまでお願いいたします。