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電気自動車の再覚醒:長い年月の中でどのように進化し続けているのか

  • 環境
2020/5/28

近年、電気自動車やハイブリッドカーの人気が急上昇している。だがその歴史はきっと、あなたが思っているよりも古い。

1830年に発明された当時、馬が引く馬車とあまり変わらない見た目だった電気自動車(EV)は、20世紀初頭には路上でよく見かける存在になっていた。EVは、自動車市場にしっかりと入り込んでいたのだ。

ところがその後、いくつものできごとが重なって、まるでスピンドルで指を刺した「眠れる森の美女」のように、EVは100年の眠りにつく。1世紀にわたって休眠状態にあった低排出ガス車やゼロエミッション車は、わたしたちが地球温暖化の現実を直視しはじめた今、ついに復活をとげつつある。

電動化への初期の取り組み

よく知られているように、スコットランドの発明家ロバート・アンダーソン(Robert Anderson)は、1830年代に非充電式電池で駆動する最初の自動車を設計した。1859年、フランスの物理学者ガストン・プランテ(Gaston Planté)が世界初の充電式電池を発明したことも、もうひとつの決定的な瞬間だった。今でもこの技術は、現代のEVバッテリーの基礎をなしている。

  •  アムステルダムで開催されたイベント「エレクトリック・ビジョン(Electric Vision)」、ガストン・プランテ、1972年の牛乳配達車

「電気自動車の最初の黄金時代は、1880年から1920年のあいだでした。この時期に多くの主要な技術的ブレークスルーが生まれました」と、オックスフォード大学で交通研究ユニットの研究主幹を務めるティム・シュワネン(Tim Schwanen)教授は言う。

これらのブレークスルーには、バッテリー技術のさらなる向上、回生ブレーキの発明、1900年にフェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)博士が発明したハイブリッド電気自動車の初期バージョンなどがある。

米国エネルギー省によると、1900年は電気自動車の全盛期だった。道路上の全自動車の3分の1を占め、蒸気やガソリンを動力とする自動車の強力なライバルだったのだ。シュワネン教授によると、1912年の時点で米国には38,000台以上の電気自動車が存在し、「当時としては非常に多くの台数」だった。

だが、その人気は長続きしなかった。

1908年にヘンリー・フォードの「モデルT」が登場し、さらに大量生産と低価格化を可能にする生産プロセスが確立されたことで、個人移動の新時代が幕を開けた。

ホンダ

これがテキサスの石油ブームと重なり、ガソリン車が普及しはじめたことで、燃料価格が下落した。高度な道路網の構築がはじまり、米国民はまたたく間に、かつてないほど自由に長距離ドライブができるようになった。当時、走行距離が限られていた電気自動車に勝ち目はなかった。

ガソリン車の内燃機関は、すでに普及し生産体制が整っていた蒸気機関の進化型だったため、電気自動車よりも「はるかに安く大量生産できました」と、ホンダUKのプロダクトマネージャーであるサム・ベネッツ(Sam Bennetts)は言う。

「当時は、石油の生産・発見ブームが、自動車の普及と密接に結びついていました。加えて、ガソリンの資源量は豊富とされ、環境汚染や温室効果ガス排出への懸念もありませんでした」と、彼は付け加える。

シュワネン教授は、英国では1930年代と1940年代に、電気自動車の「ちょっとした復興」があったと指摘する。この頃、電気自動車が牛乳配達用などの配達車として人気を博したのだ。しかしそれを除けば、電気自動車に対する社会の関心が再び高まったのは1970年代に入ってからだ。

1973年の石油危機をきっかけに、化石燃料に全面的に依存しない自動車の開発をめざす動きが活発化した。米国連邦議会は1976年に電気・ハイブリッド車研究開発実証法を可決し、自動車メーカーはガソリン車に代わる製品を検討し始めた。

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しかし、電気・ハイブリッド車が産業としてようやく長い眠りから覚ますには、1990年代半ばまで待たなければならなかった。1998年から発効することになっていたカリフォルニア州の大気汚染防止法の規制をクリアするため、ゼネラルモーターズ(GM)は完全電気駆動の「EV1」を開発した。ただし、この車種はリース専用で一般販売はおこなわれず、リースの期限が切れるとGMはプログラムを中止した。

  • ホンダの「EV Plus」

ホンダもまた、電気自動車の市場に早期参入した企業のひとつだ。1997年4月に「EV Plus」が発売され、それ以来、日本の自動車メーカーは業界をリードし続けた。1999年にはホンダの「インサイト」が米国初のハイブリッド車として発売され、トヨタの「プリウス」がそれに続いた。

「日本には責任を重んじる文化がある。日本人はそのような技術を生み出す必要性に気づくと、すぐに集中的に取り組むようになった」と、ホンダUKのベネッツは述べる。彼によれば、ホンダがハイブリッド動力伝達機構の開発に着手したのは1988年のことだ。

代替動力車が自動車産業の重要な一部を占めるようになった現在、その潜在能力をできるだけ早く、フルに発揮させることが最優先課題だ。転換のスピードはまだまだ不十分だと、シュワネン教授は述べる。「環境問題の深刻さを考えれば、わたしたちは急速かつ完全に、交通機関の脱炭素化を進める必要があるのです」

 

この記事は、The GuardianKerry Realsが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@newscred.comまでお願いいたします。

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