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がん治療やワクチンへの応用が期待される、不思議な蝶の“口”の物語

  • マテリアル
2020/8/28

1億3000万年以上にわたり、蝶たちはこの星を彩ってきた。人類はその歴史の大部分を通じて蝶を愛でてきたが、彼らについてわたしたちが知っていることは多くない。けれども、ここ10年で状況は変わりつつある。

研究者たちはハイテク機器を駆使し、これまで想像もできなかった「宙を舞う花」にまつわる数々の新事実を発見した。オオカバマダラが毎年秋にどうやって、メキシコ山中までの数千キロの渡りをなしとげるのか、麗しい翅の模様はどのように形成されるのかといったことだ。こうした発見のなかには、人々の健康を増進する新たな方法の発見につながるものもある。

本記事は、Simon and Schusterから2020年6月2日に発売されたWendy Williamsの著書『The Language of Butterflies』からの抜粋です。


数年前のある晴れた日、クレムソン大学のコンスタンティン・コーネフ(Konstantin Kornev)は、2人の娘に付き合って、サウスカロライナ州の野原で蝶を追いかけていた。娘たちにとって、蝶の色とりどりの姿と気まぐれな動きは、どうしようもないくらい魅力的だった。

やがて、コーネフ自身も蝶の魔法にかかった。蝶たちは、岩から泥へ、泥から花へと飛び回りながら、口のあたりから突き出した細長い管状の付属器を、繰り返し伸ばしたり巻き直したりしていた。伸ばした管でさまざまな表面に触れては、そのまま数秒間動きを止めるところが何度も観察された。

何かを摂取しているのだろうと彼は推測した。でも、どうやって? 定説では、蝶はこの道具をストローのように使って液体を吸うとされてきた。

だが、彼が目撃した光景は、それでは説明がつかなかった。確かに蝶は時々、吻(ふん)と呼ばれる付属器を花に挿入し、蜜を「吸って」いるように見えた。一方、硬い地面や岩の表面に吻を伸ばすこともあった。岩から何かを「吸う」というのは、ちょっとありそうにない。

鮮やかにきらめく蝶たちの生物学的な巧みさについて、彼は非常に興味を持った。単なる吸引ではない、何か興味深いことが起きている。だが、それは一体何なのか?

単なる好奇心というわけではなかった。コーネフは素材工学者で、新たな素材をつくるのが仕事だ。だが、一からつくりだすわけではない。進化のしくみと同じように、彼も既存の素材を改良する。

彼は、自分のような素材工学者が取り組んでいる問いに、蝶が重要な手がかりを与えてくれるかもしれないと考えた。具体的には、直径数ミクロンしかない非常に小さな液体の滴を、細く長い管の内部を通して移動させるにはどうすればよいか、という問題だ。

この問題を解決できれば、脳手術、心臓手術、純粋物理学、応用電子工学など、さまざまな分野に関わる重要な示唆が得られるはずだ。何といっても、蝶の吻は同じ問題に対処するため、1億3000万年以上もかけて進化してきた。彼らは上手い解決法を知っている可能性がある。

それを調べるため、コーネフは砂糖水の滴を実験机に落とし、蝶がそれを摂取する様子を撮影した。それから、動画をスロー再生し、蝶の挙動をじっくりと観察した。

予測どおり、蝶はただ液体を吸っているだけではなかった。とはいえ、砂糖水を摂取しているのは明らかだ。彼は文献を漁ったが、驚くべきことに、この問題に取り組んだ論文はひとつもなかった。ほぼすべての人が数百年にわたって、蝶の吻はストローだと、当然のように信じこんできたのだ。

数ミクロン単位の観察が可能な現代のハイテク顕微鏡の力を借りて、コーネフと、クレムソン大学で蝶を研究する生物学者のピーター・アドラー(Peter Adler)、それに大学院生のマシュー・レーナート(Matthew Lehnert)は、蝶の吻を内から外まで徹底的に調べはじめた。

そうして彼らは、蝶がきわめて効率的な輸送システムをもっていることを明らかにした。蝶の吻は、直径数ミクロンの水滴を、毛細管現象などの基本的な物理作用を利用して移動させていたのだ。

どの種も、それぞれ独自の方法で、こうした輸送を実現している。種によっては、管の内側の直径を広げたり狭めたりして変化させることで、粘性の異なる液体に適合させていた。例えば、粘性の高い蜂蜜や樹液を飲むなら、水の場合よりも直径を大きくする必要がある。

多孔質の吻をもつ種もいて、これらは、岩の表面にできたわずかな液体の層を、まるでキッチンの汚れをペーパータオルで拭くように、吸い取ることができる。さらに、なかには吻の先端に、ノコギリのような鋭い「歯」をもつ種もいる。こうした吻は、果皮や、時には(ヒトを含む)動物の皮膚を貫通し、栄養たっぷりの中身に到達する。

The Language of Butterflies by Wendy Willams.

こうした発見は、人類のテクノロジーを大きく進展させる応用可能性を秘めている。例えば、蝶の吻に着想を得たプローブを使って、がん細胞の内部に抗がん剤を注入できるようになるかもしれない。実現すれば、副作用を最小限に抑えつつ、無秩序に増殖するがん細胞を破壊できる可能性がある、画期的なブレイクスルーだ。

あるいは、蝶が採用した進化的戦略を採用して、末端の毛細血管にナノリットル単位で血液を送れば、外科手術の際に組織が酸欠に陥るのを防げる可能性がある。蝶にインスパイアされた医療器具のありうる例としては、ほかにも、感染リスクを伴う皮下注射に代わる、新たなワクチン投与法などが考えられる。

蝶の構造について驚くような発見をした研究チームはコーネフらだけではない。カリフォルニア大学の生物学者アドリアナ・ブリスコー(Adrianna Briscoe)と工学者のリー・ジェホ(Jaeho-Lee)は、極限環境で体を暖めたり冷やしたりする機能をもつ蝶の翅の微細構造を調べた。大学院生のアニルーダ・クリシュナ(Anirudh Krishna)も参加した彼らの研究の成果は、エネルギー効率のよい新たな建築素材の開発につながるかもしれない。

マサチューセッツ州にある海洋生物学研究所で所長を務めるニパム・パテル(Nipam Patel)は、幼少時からの蝶コレクターでもあり、蝶の翅を覆う鱗粉の微細構造を研究している。彼の研究により、息を飲むほど美しい青いモルフォ蝶の光沢のある色は、色素によるものではなく、鱗粉の表面にあるクリスマスツリー型の微細構造が、青以外の波長の光をすべて散乱させるために生じることが明らかになった。

この発見もまた、さまざまな形で実用的に応用しうる。例えばゼネラル・エレクトリック(GE)の研究者ラディスラフ・ポティライロ(Radislav Potyrailo)は、青いモルフォ蝶の鱗粉の構造をヒントに、小型で安価なセンサーを開発できる可能性があると考えている。例えば、空気中の有毒ガスを検出するセンサーや、ぜんそく患者にとって呼吸困難の原因になりうる、空気中の刺激物の有無を知らせるセンサーなどだ。

工学者コーネフの2人の娘たちがよく知っているように、蝶は、ただそこにいるだけで畏敬の念を抱かせる生き物だ。しかしそれだけでなく、蝶のすぐれた特性は、人の命を救うのにも役立つかもしれない。

この記事は、Popular Scienceに掲載されました。

Popular Science Logo

The blue morpho butterfly’s scale structure could launch a thousand innovations. (Peter Wey/Deposit Photos/)
The Language of Butterflies by Wendy Willams. (Simon & Schuster/)

 

この記事は、Wendy Williamsの著書からの抜粋としてPopular Scienceに掲載され、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@newscred.comまでお願いいたします。

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