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水素スマート社会の実像と現実

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英国北部にあるローマ帝国時代の城壁跡「ハドリアヌスの長城」から北に約数キロ行ったカンブリア・カウンティの丘陵地に、何の変哲もない3軒のテラスハウスが立ち並んでいる。これらの住宅は、低炭素社会の未来を静かに指し示している。

これらの家は、一点を除いては、あらゆる点で平凡につくられている。これらは、世界最先端の水素実験施設の一部で、クリーンな水素を燃料とする英国初の住宅だ。さあ、「水素の街」にようこそ。

5ヘクタールに及ぶこの実験施設では、ガス・パイプラインと地域のガス網を通じて各家庭に供給されている化石燃料のガスを、水素で安全に代替できるかどうかをテストしている。英国政府による気候変動対策の一環である。

英国における電気ガス供給大手のナショナル・グリッド(National Grid)に所属する水素専門家で、フューチャーグリッド・プロジェクトの責任者を務めるアントニー・グリーン(Antony Green)は、「99%の人は、自分たちが使うガスがどこから来ているか、どのように運ばれてくるかを考えていません」と話す。この実験施設でのグリーンの任務は、英国で普通に使われているガスシステムをリアルに再現し、1970年代から北海のガスを家庭に供給し続けてきたパイプラインが将来、低炭素水素を輸送できるかどうかについて検証することだ。

英国では、家庭の暖房が国の総炭素排出量の15%を占めている。つまり、2050年までに実質排出量ゼロを達成するには低炭素の代替燃料が不可欠ということだ。この実験施設はまた、工場や発電所の排出削減策として、主要な工場や産業クラスターに水素を輸送する方法を研究する上でも重要だ。

グリーンは、巨大なガス管の横を歩きながら「この数年間に積み上げてきたエビデンスは、それが可能であることを示しています」と語る。「理論上はうまくいくはずですが、実証しなければなりません」

グリーンが話しているとき、短い警報が鳴り、その後わずか2~3キロの場所で、制御された爆発が起きた。水素実験施設は英国最大の空軍基地の奥深くにあるため、いつ爆音がとどろいてもおかしくない。施設には何の心配もないとグリーンは保証したが、プロジェクトが抱える課題を考えると、この立地は賢明な予防策と言える。

英国で使用されるガスのインフラで水素を輸送するのは容易なことではない。水素は、これまで家庭で安全に使われてきたメタン中心のガスと比べると可燃性が高い。また、従来のガスより分子が小さいため、パイプラインや家庭内で漏れ出す可能性が3倍も高い。一方、利点としては従来のガスより軽くて分散しやすいため、1カ所に溜まって燃焼の脅威をもたらす可能性は低い。

未来の水素社会を実現するには、綿密な安全性評価だけでなく膨大な量の燃料も必要だ。低炭素水素は、2つの方法でつくることができる。ブルー水素は化石燃料のガスから抽出し、排出された炭素は炭素回収技術で回収。グリーン水素は再生可能エネルギーを使い、水を水素と酸素に分解することでつくられる。

ブルー水素は「低炭素」だと広く考えられているが、気候活動家の支持は得られていない。炭素回収技術を用いても、化石燃料ガスから排出される二酸化炭素の約10~15%は大気中に逃れてしまうためだ。また、排出量が非常に多い「海上でのガス生産」を続ける必要がある。

多くの人がグリーン水素に注力したいと考えているが、排出量削減において意味を持つ役割をいつ果たせるようになるのか、また、家庭や交通機関の電化に加えて、水素ブームを起こすのに十分な再生可能エネルギーを確保できるのか、という疑問が残る。

「ビーチからボイラーまで」を再現したカンブリアの実験施設では、使われていなかったガス・パイプラインやバルブを使って閉鎖システムを構築している。これらのシステムは、沿岸部と国中に敷設されている巨大なガス輸送用パイプから、地域を縦横無尽に走る小さなパイプラインまで多岐にわたり、全長約1キロのパイプが、入念に建設された水素の街の実験住宅につながれている。

まずは、2%の水素を含む混合ガスをテストした後、水素の割合を20%まで増やし、最後に純粋な水素をパイプに通して安全性を評価する。「世界中からたびたび電話がかかってきて、ここで何をしているのか、どのように行っているのかと質問されます」とグリーンは話す。

3軒の住宅はすべて2階建てだが、英国の一般的な住居を再現するため、間取りや構造を少しずつ変えている。屋内のセンサーでガス濃度を確認しながら、水素をゆっくり混ぜる計画になっている。安全性の限界に達したら、ガスを外に逃がすため、ドアや窓の自動ヒンジが開く。「ただ、私たちが爆発を起こすことはありませんが」とグリーンは笑う。

内部の機器に物々しさは全くない。見る限り標準的なガスコンロと、ごく普通の湯沸かし器だ。

天然ガスと同様、水素は無臭だ。そのため、漏れたときにすぐわかるよう独特の「ガス臭」を添加している。燃焼しても昼間は見えにくいため、従来のガスコンロと比べて少し赤い炎が出るように調整されている。

湯沸かし器の戸棚をのぞき込んでいたとき、グリーンは「人々はもっとすごいもの、何か違うものを期待していると思います」と語った。「しかし、これこそがポイントです。水素を使って生活することが、天然ガスを使う感覚と変わらないほうがいい」。

それでも、水素を全く使わない家のほうがいいと考える人も多い。暖房や調理は低炭素電力システムで賄える一方、英国の地下に敷設されている全長約6500キロのガス・パイプラインを水素用に整備するのはコストがかかりすぎるためだ。

この議論における対立は、予想されるとおりの「業界グループ」によって生じている。ナショナル・グリッドをはじめとする、ガス・インフラやガス生産プロジェクトを運営する企業は、既存の資産を延命させようとして家庭用水素を支持する傾向にある。一方、低炭素発電に投資するエネルギー企業は、低炭素住宅の未来として電気を使うヒートポンプの支持に回る傾向がある。

英国政府は2021年10月、ヒートポンプを導入する家庭に5000ポンド(約77万円)相当の補助金を支給する計画を承認。一方で、2026年に家庭用水素についての決断を下すまで、水素の試験を継続する必要があるとも述べた。

再生可能エネルギーに大きく投資している英国の発電事業者スコティッシュ・パワー(Scottish Power)のキース・アンダーソン(Keith Anderson)CEOは、「決して実現しないでしょう。成功の見込みはありません。すべてのインフラ、ボイラーを再設計するためのコスト。再生可能資源で生み出した水素を、家庭の暖房製品に使うという非効率性。うまくいくはずがありません」と断言する。

スコティッシュ・パワーもグリーン水素に熱心に取り組んでいるが、その狙いは、家庭から遠く離れた場所にある。「我々は今後も、電化があまりに難しい輸送用と、最大の効果が期待できる産業プロセス用の水素に注力するつもりです」。

英国における「水素の野心」がどのような未来につながるとしても、カンブリアで得られた実験の成果は、その実現に不可欠な役割を果たすことだろう。

この記事は、The GuardianのJillian Ambrose Energy correspondentが執筆し、Industry Diveパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@industrydive.comまでお願いいたします。